私は、今年の春から夏にかけて入院していました。 その間、姉妹たちからよくお 便りをいただいて支えられましたが、やはり一緒に生活できないことは、私にとって寂しいことでした。一緒にいる時にはそのようなことは考えもせず、たまには一 人になりたいと思ったりしていたのですけれど! 病院では、クリスチャンもほとんどおられなかったし、多くの人にとっては修道女に出会ったのは初めてなので、好奇心の的になってしまいました。いろいろ話しかけられたり、悩みを相談されたりして、そういうことに慣れていない私は、初めはどうしていいものやらわからずに、かなり負担に感じていました。 でも少しずつ、これも神さまのお計らいと思うようになり、私にできること、神さまの愛を私なりの言葉で伝えるように努めるようになりました。思わぬ形で宣教の使命を果たすことになりました。 とはいっても、聖務のない生活は、やはり何かが欠けているということをいつも感じさせられました。修道院での定められた祈りに出られなくなって、初めてその価値、ありがたさを見出すことになりました。やはり私たちは、聖務、神さまへの賛美によって生かされているのだと実感しました。 今年は、聖週間も復活祭もありませんでしたので、心に大きな空洞ができてしまったように思えていました。 でも修道院に戻って来て、それを埋め合わせるほどの大きな喜びを見つけました。それは、姉妹たち皆と共に毎土曜日の夜、主日の前夜祭で歌う賛美の賛歌、Te Deum です。主イエスさまの死と復活の神秘に現された神さまの愛への、教会の賛美の歌声です。一緒に入院しておられた方々も、いつかどこかでこの賛美の歌を共にできますように! ![]()
思わぬ形で宣教の使命を果たすことになりました。 とはいっても、聖務のない生活は、やはり何かが欠けているということをいつも感じさせられました。修道院での定められた祈りに出られなくなって、初めてその価値、ありがたさを見出すことになりました。やはり私たちは、聖務、神さまへの賛美によって生かされているのだと実感しました。 今年は、聖週間も復活祭もありませんでしたので、心に大きな空洞ができてしまったように思えていました。でも修道院に戻って来て、それを埋め合わせるほどの大きな喜びを見つけました。それは、姉妹たち皆と共に毎土曜日の夜、主日の前 夜祭で歌う賛美の賛歌、Te Deumです。主イエスさまの死と復活の神秘に現された 神さまの愛への、教会の賛美の歌声です。一緒に入院しておられた方々も、いつか どこかでこの賛美の歌を共にできますように! すべてのものの主 神よ、あなたをたたえて歌う、 永遠の父よ 世界はあなたを崇め尊ぶ。 ・・・・・・・ 日ごとに感謝をささげ、世々にあなたをほめたたえる。 私たちを今日も、罪からお守りください。 神よゆたかなあわれみを私たちに、あなたにより頼む私たちに あなたにかけた私の希望は、とこしえにゆるがない。 |